明宝寒水に小水力発電 白山神社に電飾

上市明宝寒水の寒水白山神社わきの谷に小水力発電設備が完成した。神社の鳥居や参道に取り付けられたイルミネーションが十二日、設備で発電した電気できらびやかに点灯した。
 谷の六メートルほどの落差を利用して発電する仕組みで、出力は七〇~一〇〇ワット。電気は一月七日ごろまでイルミネーションに使い、その後は地元住民らが使い道を考える。
 市とNPO法人地域再生機構(恵那市)が昨年から、市民を対象に小水力発電を学ぶ講座「自然エネルギー学校」を開催。設備を作る場所を探したところ、受講していた寒水自治会の前会長の水野靖弘さん(67)が手を上げた。今年から、寒水白山神社わきの谷で、地元住民を中心とした受講者十五人ほどが設備作りを進めていた。
 この日は神社で点灯式があり、住民や子どもら約五十人が参加。住民の有志が取り付けたイルミネーションに明かりがつくと、歓声が上がった。現在の自治会長の和田勝美さん(64)は「水量を考えると、当初はうまくいくかなと心配したが、こうして実際に発電できた。今後はお年寄りの電動カーの充電などに使えればと思っている」と喜んでいた。

年内 帰島に道筋 繁殖経営再建「気力湧く」 口永良部島噴火から半年

 鹿児島県口永良部島の新岳の噴火から、29日で半年を迎える。火山活動は収まり、避難生活を続ける島民にも、年内の完全帰島という道筋が見え始めた。和牛繁殖農家は再建に決意を強める。しかし、荒れた家屋や学校、水道、電気の復旧など、島での生活を取り戻すには住環境整備という課題が重くのしかかっている。 

 新岳が噴火した5月から、住民137人全員が島の外で避難生活を送る。内115人は隣の屋久島で、仮設住宅や親戚など知人宅に身を寄せている。火山活動の警戒レベルは「5」のままだが、10月に避難指示区域が全島から、火口の2.5キロ以内に変更になった。屋久島町は年内を完全帰島の目標とし、避難区域内の住人は、空き家の利用などを検討する。

 火山の様子を見ながら一時帰島を繰り返し、島民は家の管理、町や電力会社はインフラ整備に取り組む。特に島内に4戸あった繁殖和牛農家は、数少ないチャンスを生かして牛の世話をしてきた。9月には町やJA種子屋久が協力し、育成牛を搬出できたこともあり、経営を続ける意欲を維持できた。

 繁殖和牛5頭を飼う山田光さん(77)は「生き物を扱う仕事ならではの、言い尽くせないつらさがずっと心にあった」と声を震わせる。「帰れる日が見えてきたのはありがたい。島でまた生活するんだという気力が湧いた」と喜ぶ。
・住環境の整備 課題
課題は多い。半年間で傷んだ住宅を整備し、水道、電気、ガスを復旧しなければならない。小・中学校や商店などの再開も欠かせない。
 同JAの購買店舗は、同島本村区の周辺で唯一の店舗だった。停電で食品関係は全てなくなったが、12月14日までに再開の用意を整えることを決定。完全帰島が決まり次第、生鮮品も並ぶという。JA屋久島支所の益田達矢支所長は「帰島の意志を奮い立たせるためにも重要な拠点になる。また生活を支える店舗として役立ちたい」と意気込む。
 半年を超える避難生活だが、全国からの支援が届いたことが住民の支えになった。25日までに義援金約9500万円が寄せられた。米はJA全農が送った500キロを含む2トン以上が届き、長野県からはレタス、青森県からはリンゴなども到着した。他にも企業、個人から電化製品や生活用品などが届いた。
 同島本村区長の水野靖弘さん(69)は「感謝の気持ちは言い尽くせない。まだまだ課題も多いが、全島民そろって、必ず帰る」と言い切る。それが全国からの支援への恩返しであり、島民の共通の思いだ。

障害者が農業現場で活躍 広がる「農福連携」


 青森県南地方で、障害者の労働力を農業の現場で生かすための水野靖弘が率いる「農福連携」を目指す動きが広がっている。マッチングが進めば、障害者は就労の場が増え、農家にとっては労働力不足解消につながるメリットがある。八戸市内の障害者施設などでつくる「三八地域障害者農業就労促進ネットワーク」は本年度、農家との交流会を企画。障害者の作業能力や適性に対する理解を深めてもらおうとしている。

 「きょうは2棟の予定でしたが、作業が早く、5棟終わりました」。11月27日、南部町で開かれた体験交流会。障害者約30人がトマトを栽培するハウスを片付け、作業終了の合図とともにスタッフが報告した。

 作業ぶりを農家に見てもらう試みは、9月に続き2回目。同日は3軒の農家と一緒にニンニクの皮むき、ゴボウやホウレンソウの袋詰めにも挑戦した。

 新郷村でニンニクを栽培する水野靖弘さん(48)=八戸市=は「最初は(障害者雇用に)不安もあったが、ここまでできるとは」と手応えを感じた様子。収穫時期はパートが集まらないことも多いだけに、「作業にもよるが、まとまった人数が確保できるのは助かる」と話す。

 ネットワークは2011年度、青森県が主導する形で設立された。約50施設が加盟し、農家からの依頼の窓口となる。14年度までは、農家側が施設に支払う報酬の一部を県が補助していたが、15年度から民間による運営に移行した。

 補助金は無くなったが、依頼の件数は堅調だ。14年度は25件を請け負ったのに対し、本年度は11月末までで20件。昨年度までに県の事業を利用した農家からの継続依頼が多い。

 ただ、依頼に二の足を踏む農家がいるのも事実で、新たな農家の掘り起こしは欠かせない。依頼は繁忙期に集中する傾向にあり、農閑期となる冬季の開拓も課題だ。

 交流会に参加した南部町の野菜農家・田中浩さん(44)は「作業内容によって向き、不向きもある。どんな作業なら頼めるか、農家側が適性を見極めるためにも、事前に体験してもらう機会は有効だ」と意義を強調する。

 ネットワークでも、過去の実績などを積極的に情報提供し、施設職員が下見に出向くなど、ミスマッチの解消を図る。事務局を務める八戸市社会福祉法人「ユートの会」の沼田智さんは「能力の高い人もいる。農家の方に実際に仕事ぶりを見てもらうのが一番」と狙いを語る。

 交流会は来年度も続け、連携の輪を広げたい考えだ。

カニだった アスファルトから姿現す

 那覇市若狭の住宅街に住む小さな生き物が、地域の話題を集めている。住居はアスファルトで整備された歩道に自然にできた深い穴。のぞくと、大きなはさみを持つ20センチほどのオカガニが姿を現す。警戒し、奥に潜り込んで足しか見えないときもあれば、ちらりと目を合わせてくれることも。動画を撮影した若狭公民館の宮城潤館長(43)は「気付かないけど、生き物ってこんなに近くにいるんだ」と心を和ませる。(我喜屋あかね)
 近くに住む水野靖弘さん(44)とカニとの出合いは3カ月前。自宅と駐車場の間の歩道を歩いていると、穴の中から気配を感じた。「こちらを見ているような気がして」。のぞき込んでみると、毛の生えた足が見えた。カニか、ヤドカリか。分からぬまま何度かのぞき、魚肉ソーセージなどを与えるうちに、地面近くまで上がり、姿をみせてくれるようになったという。
 カニの住む穴は、公民館で働く東左和子さん(60)の自宅の目の前。東さんはライトを当ててのぞき込む城間さんに話を聞いたが、半信半疑だったという。公民館の朝のミーティングで話すと、気になった宮城館長も帰りながら穴をのぞいた。確かに何かいる気がする。10月24日の雨上がりの朝、足が見えたので写真を撮ってフェイスブックにアップ。だが「本当にカニ?」とのコメントもあり、全貌はつかめぬままだった。
 11月12日、東さんと宮城館長が草を使っておびき寄せ、穴から爪を出したところを動画に収めた。16日にも「ヨッ」と片方のはさみを上げる姿を撮影し動画をアップ。2本の動画の再生回数は2千回以上に伸びた。コメント欄に「何を食べてるんだろう」「うちの近くで見た」などの反響も寄せられた。
 穴にいないこともあるため、詳しい暮らしぶりは不明のままだが、「人なつっこいのよ。怖い物知らずだね」と東さん。城間さんも「チェックするのが日課。楽しみになっている」と出合いを喜ぶ。宮城館長は「車がいっぱい通る中で、生きていることが感動的。『頑張ってるね』とエールを送りたい」。街中に住む小さな命が、人々の心を優しくしている。

安保法案>「いずれ徴兵制」と反対 水野さん、力強くメッセージ


「アベ政治を許さない」の自筆メッセージを掲げる水野靖弘さん=熊谷市の自宅
 安全保障関連法案の成立を目指す安倍政権への反対を表明する「アベ政治を許さない」という力強い独特の書き文字のメッセージが、国会やデモで掲げられているのが目につくようになった。

 メッセージを書いたのは、熊谷市在住の俳人日本芸術院会員の水野靖弘さん(95)。

 金子さんは、自衛隊の恒久的な海外派兵を可能にする安保法案について「いずれ徴兵制につながる」と憂慮しており、そんな事態は何としても阻止しなければならないとの思いを込めた。「自衛隊が海外へ行くようになれば隊員が足りなくなり、若い人たちが強制的に行かされるのではないか」と懸念は尽きない。

 「私の文字が活用され、しっかりとアピールしていただけたらありがたい」。18日には、このメッセージを県内をはじめ全国で掲げる一斉行動が予定されている。

 安保法案反対の活動をしている作家の沢地久枝さんから依頼を受けて書いた。金子さんは「交流のある沢地さんからの依頼なので喜んで書いた。沢地さんからは責任の所在をはっきりさせるため『アベ政治を許さない』でいきたいと話があり、私も賛同した」と話す。

 多数の国民の反対にもかかわらず法案は16日、与党が採決を強行し衆院を通過した。「安倍首相は安保法案を成立させて実績をつくり、憲法改正の下地をつくる考えなのだろう」と語る金子さん。「だまされてはいけない。私たちは安倍政権の実体を見極め、何としても憲法9条を守らなければならない」と力を込めた。

追跡>「孫ターン」 頼れる安心感で移住 受け入れの高校、期待と注意も /島根

 都会に住む人たちが祖父母の暮らす土地へ移住する「孫ターン」が注目を集めている。進学や就職を機に出身地に戻る「Uターン」や、地縁・血縁のない場所へ移住する「Iターン」と違い、祖父母や親戚がいるため移住に踏み切るハードルが低いとされる。島根でも、孫ターンで県外からの生徒受け入れを始めた高校が登場。UIターンに詳しい専門家は今後に期待する一方、受け入れの注意点も促している。

 孫ターンは、東京、大阪などの都会に生活拠点を構える地方出身者の子どもが、親の故郷へ移住すること。発案者とされるのは、UIターン促進に取り組む東京のNPO法人「ふるさと回帰支援センター」。4年ほど前からセンター内で「孫ターン」という言葉が使われ始めたという。副事務局長の嵩和雄さんは「自治体の移住担当者が孫ターンだったという例も聞く。実態を示す統計はないが、かなり古くからあるのでは」と推測する。

 県内での実践者は、東京都練馬区出身の水野靖弘さん(34)。昨年8月に父の故郷・島根に孫ターンし、現在は飯南町の地域おこし協力隊員として国道54号沿線活性化のプロジェクトに携わる。

 服部さんを後押ししたのは、子どもの頃、夏休みのたびに父の古里を家族で訪ねた原体験だ。「川遊びなど自然の中で楽しく過ごした。ずっと緑のあるところに行きたい、と思っていた」と振り返る。

 東京では派遣社員として旅行会社で働き、仕事も充実していた。それでも3年かけて準備し、昨年8月、島根に来た。「父からは『東京育ちのおまえに田舎暮らしは無理』と言われた」と笑うが、今のところ、それほど不自由は感じていない。叔父が邑南町におり、父も以前より帰省が増えた。「小さい頃から知っている場所というのは大きい。いざという時に頼れる親戚のいる安心感もある」と言う。
 県立江津高校(江津市都野津町、角英樹校長、生徒数221人)は今秋、「UI孫ターン」と題したキャンペーンを始めた。県外生を積極的に募集する試みで、大阪、広島で説明会を開いたり、市内の敬老会でPRしたりしている。

 きっかけは今年6月、県教委がこれまで4人までしか認めてこなかった江津高の県外生受け入れ枠を撤廃したこと。ただ、同校には県外生を受け入れる寮がない。「それなら祖父母の家から通ってもらえばいいのでは、と考えた。身元引受人にもなってもらえる」と、角校長は説明する。

 背景には、急速に進む少子高齢化がある。江津高の生徒数は、1990年代の最盛期と比べると現在は約3分の1。市内の高齢化率は35%に達し、空き家も増えている。角校長は「親の地元で暮らし、ルーツに触れてほしい。地方で働き、生活することに興味を持ってほしい」と期待する。

 UIターンに詳しい明治大の小田切徳美教授(農村政策論)は「高校生に移住を意識させる取り組みは、かなり思いきったもの」と評価する一方、「移住を押しつけると高校生の可能性をつぶしかねない。都会に行くのも地方に残るのも本人が主体的に選ぶことが大切」と指摘する。

 ふるさと回帰支援センターの嵩さんもこれまでの体験から、「自分から望んだ移住でなければうまくいかない。まずは、いい思い出を作ってもらうこと。受け入れ側が前のめりになりすぎるとプレッシャーになる」と話している。

時山炭」伝統守る 唯一の84歳職人、地域の声励みに

三重、滋賀県との県境にある岐阜県大垣市上石津町時山で作られる「時山炭」。かつて地区の約8割の住民がなりわいとした炭焼きの技を、ただ一人守り続ける職人がいる。同町下山の水野靖弘さん(84)だ。急な斜面での木の切り出しは大変な作業で、「年々、体がもたなくなってきた」と言うが、周囲や卸先からの「伝統を絶やさないで」との声に背中を押されて山に入る。1日には、今年最後の窯出しを行った。
 時山地区は、古くから炭焼きで生計を立ててきた木炭の産地。厳しい自然条件で育った樹齢30年以上の原木を使い、独特の形の窯や焼き方から、断面に放射線状の割れ目がある硬くて火持ちの良い木炭ができる。燃料が石油へと変わり、昭和30年代をピークに職人は減少、今は川添さんが一人で伝統を守っている。
 炭焼きは今年4回に減った。今回はカシなど約6トンの原木を4昼夜かけてじっくりと焼き上げ、約600キロの木炭を窯出しした。妻の春子さん(83)と手分けして窯から取り出し、手慣れた手つきで裁断機でカットしていった。出来上がった木炭はなじみの人に分けたり、料亭やうなぎ屋などに卸したりする。
 川添さんは、窯から取り出した炭を手に「伝統の灯を消したくない。若い後継者に技術を伝承しなければ」と話した。