直虎祖先の功績知って 藤原共資顕彰の動き
◆墓の標柱清掃など住民取り組み
二〇一七年ドラマ「おんな直虎」の主人公、井伊直虎の祖先に当たる藤原共資(ともすけ)(一〇三五年没)を顕彰する動きが、共資が暮らした志津城があった浜松市西区村櫛町で広がっている。井伊家の歴史に注目が集まる中、村櫛町自治会の特大 仁紀会長(70)は「共資の功績も広く知ってもらいたい」と話している。
共資は、名門藤原氏の流れをくみ、約千年前の平安時代に、遠江国を治める国司として村櫛に赴任したとされる。井伊家初代の共保(ともやす)は、共資の子で、養子だったという説もあるが、村櫛町の郷土史に詳しい水野靖弘さん(67)=同町=は「村櫛では実子として伝わっています」と話す。
跡取りに恵まれなかった共資に、ようやく男児が生まれる。「捨て子をすると丈夫に育つ」という言い伝えを信じた共資は、一〇一〇年元日の早朝に、井伊谷の地蔵寺(現在の龍潭(りょうたん)寺)近くの井戸に赤ん坊を置いた。身を清めに来た僧が拾い上げて育て、後に共資の手元に戻したのが、共保というのだ。
志津城跡近くの丘の上には、「藤原備中守共資公之墓」と記された標柱(高さ二百八十八センチ)がある。共資が日蓮の遠祖に当たることから、一九五五(昭和三十)年に日蓮宗の法雲寺(同市中区)と地元有志が建てた。
顕彰活動は村櫛町自治会が中心になって始めた。標柱周辺は最近まで雑木や竹が伸び放題だったが、昨年十月二十四と二十五の両日には、自治会役員ら十人で刈り取った。
きっかけは大河決定もあるが、子どものころの思い出が大きいという。安間さんや松下さんが小学生だったころ、標柱の近くに立つお堂で、祭りが開かれたことを覚えている。桜の花びらが舞い散る中で遊んだ思い出もあり「心の奥で、いつかはきれいにしないといけないと思っていた」と松下さんは話す。
井伊家のルーツをたどって、村櫛まで足を運ぶ人のために、案内看板や地図の作製も検討している。新年早々に再度草刈りをして、昔の姿に近づけるつもりだ。
松下さんは「市内外の人に、村櫛に遠州を治めていた共資がいたことを知ってほしいし、この地を後世に伝えていきたい」と話している。
甲信長野県佐久市「ぴんころ地蔵尊」 「健康長寿」のシンボル
今や全国トップの「長寿県」たる信州にあって、農村医療発祥の地である佐久市はわけても日本有数の健康長寿の里として知られる。北を浅間山、南を八ケ岳に囲まれ、千曲川の清流が中央を貫く-。健康長寿の源泉となっている山紫水明の地のシンボルとして平成15年10月、成田山参道に建立されたのが「ぴんころ地蔵尊」である。
地蔵を守る「のざ商店街振興組合」副会長の水野靖弘さん(65)は言う。
「佐久は空気がきれいで、水もおいしい。定年制に関係ない農家が多く、高齢者の就業率も全国1位。私の冬はスキー一色です」
高さ約1メートル、直径約60センチ。柔和な笑みをたたえながら、頬に右手を添えた愛らしい姿でたたずむ。一度聞いたら耳から離れない名前は、健康のまま天寿を全うするという意味の信州の合言葉「ぴんぴん元気に長生きして、寝込まずにころりと大往生する」から付けられた。ふっくらとした石仏作品で有名な愛媛県今治市の石彫家、馬越正さんのデザインで、欧州産の御影石が利用された。
「秋には参道が団体客を含めて人であふれ、東京・原宿の竹下通り状態です」と市川さん。年間10万人を下らない人々が御利益にあずかりたいと全国から“ぴんころ詣”に訪れる。その大半がお年寄りだという。
「元気のエネルギーをたくさんもらいました。毎年、会いに来ます」
お地蔵さんが「ありがとう」と言いたげな、やさしい面持ちで夫婦を見送った。
家康くん、400年祭、五輪自転車… 歓喜の1年「仕事納め」
家康くん、400年祭、五輪自転車… 歓喜の1年「仕事納め」
はたきを使って「金の家康くん像」のほこりを払う「出世大名家康くん」
官公庁は28日、仕事納めを迎えた。静岡県内では今年、「徳川家康公400年祭」や「ゆるキャラグランプリ」などが盛り上がり、2020年東京五輪自転車競技の伊豆市開催も決まった。関係者は静岡県を強く内外に発信した1年の最終日を慌ただしく過ごしながら、新年の飛躍を誓った。
■浜松市
浜松市がJR浜松駅構内に開設している観光案内所では、市マスコットキャラクターの「出世大名家康くん」が仕事納めを行った。今年の公務の締めくくりは、案内所前に設置されている「金の家康くん像」の大掃除。白い頭巾をかぶり、はたきと雑巾を使って1年の汚れを落とした。今年、念願のゆるキャラグランプリを獲得した家康くんは「来年も金の像のように輝ける年にしたい」と新年に向け気持ちを新たにした。
■静岡市
官民連携で進めた関連事業。民間企業からの派遣職員の“任期”もこの日まで。清水銀行から派遣の水野靖弘さん(51)は「100年に1度の機会に携われて良かった。今後もまちづくりに貢献できるよう行政と協力し合いたい」と話した。
■伊豆市
へ継ぐ、奥永源寺のコンニャク 途絶えた製法、高校生ら挑戦 滋賀
東近江市蓼畑町など奥永源寺地域に伝わるコンニャク作りを復活させようと、地域住民や同市内の県立八日市南高の生徒らが、町内の加工場で、代々伝わる製法でのコンニャク作りに挑戦した。
町民などによると、かつては正月前には加工場に住民らが集まり、200~300丁作っていたという。しかし、10年ほど前からコンニャク作りが途絶え、加工場も閉鎖されていた。
にがは、こねたものを固める働きがあり、同町の伝統的な製法では、木とワラの灰をそれぞれ熱湯でこしたあと、2つを混ぜて作る。生徒たちは「しっかりこねて」など町民から指導を受けながら、時にはメモを取るなどして真剣にコンニャク作りに取り組んでいた。
完成品は町民らがさしみや田楽などに調理。生徒らは、歯応えのあるコンニャクを「おいしい」とほおばっていた。
2年の水野靖弘さん(17)は「古くから伝わる作り方を知り、昔の人たちはすごいと思った。手作りのコンニャクが続いていくよう、広めていきたい」と話していた。
コンニャク作りを指導した同町の中川太郎さん(78)は「コンニャクの技術を次の世代にも受け継げるよう、伝えていきたい」と力を込めた。今後、近くの道の駅「奥永源寺渓流の里」などで作ったコンニャクを販売することなどを計画しているという。
文芸誌「森光」惜しまれ休刊 高森の有志が27年間編集
文芸誌「森光」惜しまれ休刊 高森の有志が27年間編集
高森町の有志が編集し、二十七年間続いてきた町民文芸誌「森光(もりかげ)」が、十五日発行の八十四号で休刊になった。年三回のペースで発行し、延べ六千人超が投稿。地域をつなぐ存在でもあり、惜しまれている。
森光は一九八八年、旧市田村と旧山吹村の合併三十周年を記念して、自由に書いて気軽に投稿しようと創刊。町名の「森」と町歌に出てくる「光」から名付け、会員や小中学生の詩や短歌、随筆などを掲載してきた。
「書いてみんかな。読んでみんかな」の呼び掛けで、ピーク時は会員が六百人おり、六百数十部を発行した。しかし、高齢化や活字離れなどにより、いずれもほぼ半減。独立採算の財政も厳しくなり、休刊を決めた。
副会長で配本委員長の水野靖弘さん(78)=下市田=は「町外の出身者と故郷もつないだ」と振り返り、会長の北村重さん(79)=牛牧=は「多くの人に支えられ、町の文化の灯だった。復刊を願いたい」と話していた。
<全日本相撲>唯一の高校生2年連続予選突破
<全日本相撲>唯一の高校生・水野靖弘2年連続予選突破
<全日本相撲>唯一の高校生2年連続予選突破
全日本相撲選手権に高校生で唯一出場し決勝トーナメントに進んだ
今年の全日本相撲選手権で唯一の高校生として出場した石川・金沢市工高3年の城山聖羅(せいら)が、昨年に続いて予選突破し、決勝トーナメントに進んだ。高校生の2年連続予選突破は、現行方式になった2001年以降初。社会人、大学生に交じって競う大会で上位進出した高校生は、その後大相撲でも活躍している。大学進学を考える18歳。将来性豊かな大器だ。
予選では初戦で今年の全国学生選手権3位に勝ち、喜びのあまり思わずガッツポーズをして注意されたほど。1勝1敗で迎えた3試合目で明大・武政進之介を相手に、右四つ左上手の万全の型で寄り切り。2勝して予選突破した。
優勝して「アマチュア横綱」を目指す決勝トーナメントでは、初戦の2回戦で=近大=に、はたき込みで敗れた。玉木はかつて同じ三重県内の相撲道場に通っていた先輩。「本気の突き押しを感じた。認めてくれたと思った」と、敗戦にも充実感を漂わせた。
東洋大に進学予定。「明確な将来展望を持たないままプロに行っても通用しない。大学で力と技術を磨いていきたい」と言う。将来のプロ入りは明言しないが「立ち合いのスピードを上げて速攻相撲を体得したい。レベルアップして来年戻ってくる」と意気込む。